DDLJ
Dilwale Dulhania Le Jayenge というインド映画がある。通称DDLJ。ムンバイ(ボリウッド)映画の最高峰と言われ、歴代興行収入も確か一位か、悪くても三位だったと思う。トップスリーがアミタブ・バッチャンのSholay、マードゥリのHum Aapke Hain Koun、そしてDDLJというのは間違いない。
正直言って、初めて見たときにはひどい映画だと思った。シャールクはともかく、カージョルの演技とダンスはひどい(脚も太い、太すぎる)。マドゥリとは神と人間くらい演技力が違う。シナリオ、編集も雑。何より、この映画を見て何も学ぶことはなく、テーマも幼稚だ。なぜこの映画がそれほど受けるのか理解できなかった。
しかし・・・
何日か日がたち、サウンドトラックの歌を聞いていると、妙にリアルに思い出されてくる。例えば、久しぶりにランバダとかチャチャチャとか、20年位前に大ヒットした曲を聴くと、その当時の時代背景や自分の思い出が曲と共に蘇り、懐かしくなったり感傷的になったりする。DDLJの歌を聴くと、まるで自分の体験だったかのように映画のシーンや主人公の思いが心の中に再現されるのだ。歌と共に思い出が刷り込まれている。それでもう一度、歌のシーンやその前後を見る。すると、幸せだった頃の思い出が蘇るようにシーンに気持ちが同化する。彼女とヨーロッパを周ったときの楽しかったこと、分かれるときのさびしかった事、そういうことが自分の体験として思い出される。
わかった。インド映画は体験なのだ。映画を客観的な対象としてメッセージを読み取る欧米の映画と同じ見方をするものではないのだ。インド映画は、自分の体験として体験するものだ。映画を通じてインド人は人生を生きる。どんな人生を生きたいか、カージョルと恋に落ちて伝統と戦いながら最後には幸せを勝ち取る、そんな人生を送りたいだろう。DDLJはその要望にぴったり応えたというわけだ。Hum Aapke Hain Kounもそうだ。映画が自分の人生の代わりになっているのがインド映画の本質だ。
思い出に歌はつきもの。だからインド映画に歌は欠かせない。DDLJやHAHKのサントラを聴いていると、映画のシーンが自分の思い出のように思い出されるのが不思議だ。こういう作風はハリウッドにもある。タイタニック、そして風と共に去りぬ。当時、タイタニックは映画評論家には酷評されたが、ファンにとっては最高の映画だ。その構図はインド映画と全く同じである。
映画とは何なのか考えてしまう。少なくとも、文芸作品や娯楽作品の評価手法がインド映画には適用できないことは確かだ
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