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2007年9月

著作権法改正

著作権法改正で、違法に配布される音楽について、ダウンロードする側も規制対象になりそうだ。

確かに、bittorrent等を使ってCD発売日には丸ごとダウンロードできてしまう現実は何とかしなければならないだろう。売春と同じで買う人間がいるから売る人間(売っているわけではないが)がいるというのは事実である。

背景にはCDという媒体が要らなくなったということがある。itunes、ipodに入れた後のCDは邪魔なだけだ。だからCDは買いたくない。レンタルで十分だ。ダウンロードすればもっと簡単だ。

これらは違法でなければ一定のお金がかかるが、決定的な抜け穴がひとつある。図書館である。図書館は今やデータベースで連結され、ネットで、例えば藤沢市内のすべての図書館が所有するCDを検索することができる。そして予約しておけば近所の図書館に配達される。配達完了はメールでお知らせが来る。レンタルよりも確実にCDを借りることができる。しかも圧倒的な在庫があり、少し古いものなら何でもある。私は、もともとLPで持っていたものを図書館で借り直し、数百枚のコレクションをitunesに収めることができた。前から揃えたかったリンダ・ロンシュタットもほぼすべてのCDを借りることができた。

これはなぜか合法であり、無料である。しかも行政がやっている。どう考えてもおかしなことだが利用者が少ないのか今のところ問題視されていないようだ。しかし、利用者が増えればこの不条理が放置されるとは到底思えない。借りるなら今のうちである

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格差をなくすことなどできない

政治家は安易に格差を無くすなどというが、格差を無くすことなどできるのだろうか。格差をなくせばモラルハザードがおき国民は努力しなくなる。勉強しなくても、怠け者でも十分な収入が得られるなら努力など馬鹿らしい。そうなればば国全体が沈んでいくだけだ。北朝鮮ほど極端でなくても、先進国ではなくなるだろう。平等に貧困になるだけのことだ。

結論から言うと、格差社会が悪いのではなく、能力に格差があることがいけない。なぜ能力に格差があるかというと、本人が遊んでいた、親がいい加減な教育をしたということももちろんあるが、ゆとり教育とか運動会の競争はみんなで手をつないで全員一位でゴールインとかの甘やかし教育がいけなかった。能力や気力、社会適応性のない大量の若者を生み出してしまった。だから低賃金の仕事しかありつけない。つまり、そういう若者にもいい給料を払うのではなく、そういう若者を有能にするしか方法はないのだ。安易に最低賃金を上げたりしたら雇用が海外に流出し大量の失業者が生まれることになる。何の解決にもならない。

格差社会が悪いわけではなく、能力に格差があることをしっかり自覚してもらい、再教育を受けられる機会を提供する。そして子供には国際競争で負けない能力をしっかり教育する、これが正しい取り組みだと思う。能力の高い人が増えれば競争原理により高い給料を取っている人の給料は下がる。単純労働者が減れば労働者の取り合いになり賃金は自然に上がる。単純労働者を知識労働者にシフトするのが唯一の道である。

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熱愛報道

政治ネタが一段落したと思ったら熱愛報道ブームである。
最近のワイドショーは報道系が中心で芸能系はもう廃れたと思っていたのだがなぜかまた復活している。

別に興味はないが、「熱愛」という言い方は何なんだ。日常生活では使わないぞ。

何でもかんでも熱愛、熱愛、って他に言い方はないのかと言いたい。そんなたいそうなもんでもあるまいし

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913SHのmicroSD

AmazonでSandiskのmicroSDを買った。2Gなのに送料込みで3780円だ。メモリーも安くなったものだ。

届いたmicroSDを見るととても小さい。この小ささを見ると逆に3780円が高く思えるから不思議だ。こんな大きさで2Gとは、タイムマシンで10年前に行って企画会議で報告しても誰も信じないのではないだろうか。

パソコンでitunesの音楽を入れて携帯に装着してみた。音はipod並みで許せるが、アーチスト名対応でないので曲はアーチストを問わずタイトル順に並んでしまう。曲の移動や使い勝手でやはりipodの代替にはならないようだ。

今度は写真を入れてみようと、microSDを取り出し・・・・、

ん、取り出せない・・・

押してもほとんど飛び出してこない。小さすぎて指で掴めない。ひょっとすると一度装着したら二度と取り出せないのでは。そんな予感がよぎったが、落ち着け、落ち着け。

ピンセットを探してきて、挟んで引っ張ってみた。取り出せた。

しかし、メモリーの取り外しにピンセットが必携とはひどい仕様だ。ひょっとして不良品なのか。Softbankショップで聞いてみよう

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爆笑問題のCM

爆笑問題が求人誌のCMで

太田「壁に突き当たったら右か左どちらに行くべきか?」

田中「よじ登る」

いいことを言っていると思ったが、よく考えるとこれは真実ではない。現実の事業や仕事では太田の発言が正しいことが多い。よじ登ることにこだわるから突破口が見えず挫折する。少し離れて考えれば横から回れば向こうに行けることに気が付く。よじ登る力があるから逆にそのことに気が付かず、力がないものが横から通り抜けるのに負けてしまう。

これはイノベーションのジレンマと言われている現象である。最近の事例では、PS3を作る力がない任天堂がWiiで大勝利したのもそうだ。

太田「人はなぜ坂を登るのか?」

田中「違う景色が見えるから」

これもいいことを言っていると思ったが真実は違う。景色などすぐ飽きてしまう。山頂は退屈だ。実は、登るという過程が楽しい。車に乗せてもらって登頂するのでは、登山の楽しみは得られない。仕事には苦労がつきものだ。楽しみのために苦労していると思いがちだが、実は苦労自体が楽しいのだ。まるで青い鳥だが、これは事実である

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913SH総括

数日間使ってみたが、なかなか良くできている。色は他の色が蛍光色で落ち着かないものばかりなのでシルバーにしたのだが、携帯を机の上においていると携帯という感じがしない。シンプルで美しいデザインだと思う。

デザインといえば、スライドさせてパンッと開くのが楽しいが、これを片手でできないのが少し残念だ。液晶面は買ったときに薄い保護カバーがついている(文字が書いてあるビニールをはがした後にもう一枚貼ってある)。このままでもいいのだろうが、全面を保護したければ保護カバーをつけたほうが良さそうだ。私は300円のを貼ったが、埃が入らないように貼るのは苦労する。

タッチセンサーの反応も言われているほど悪くない。ワンセグは十分視聴に耐えうるレベルだ。使ってみて気が付いたのだが、ワンセグには文字放送が付いていて、ニュースや天気を通信料不要で見ることができるのはいい。その他の機能も十分で、動作も速い。ただし、初めから入っている着信音が少ないので、自分でMIDIファイルをインターネットで探してそれをメールで携帯に取り込んだりする必要はある(もちろん有料の着メロでもいいが)。

MY YAHOOを携帯で見られるのは便利だ。他社の携帯でも見られると思うが、スケジュールや駅名登録などをパソコンでやってそれを携帯で使えるのはいい。もちろんメールも見られるが、携帯のメールアドレスもyahoo.co.jpで統一して欲しいところである。

大きな弱点は、ローミング機能がないことだ。頻繁に使うものではないが、海外に行ったときの安心感が違う。これは買ってから気がついたことだった。まさか対応していないとは思わなかったから。

まとめると、デザイン、機能共によくできている。ワンセグをここまで綺麗に仕上げたのは(iphoneのぱくりっぽいが)評価できる。ワンセグというのは日本独自のものだからこれを足がかりに日本の携帯メーカーはもう一度世界に通用する携帯作りに励んでもらいたい。普通に考えて、この大きさでこんなに機能が入っているのは二年前には考えられなかった。携帯もここまで来たかと感心してしまう

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最後まで

テロとの戦いのために辞める。そういうことだろうか。

この人は悪い人ではないのだろうが最後まで感覚がずれていた。国民一人一人に今の日本の課題を聞いて、誰が「テロとの戦い」を一番に挙げるだろうか。テロリストはアメリカの帝国主義を批判しているのであって日本など眼中にない。日本がイスラム系テロリストに攻撃されているということもない。なのにそれを政策の第一課題に掲げ、それを理由に辞める。

何かやりたいことがあったということはわかるが、それは起業家としてやることであり、国民の意思(これがCEO)を実行するCOOとしての総理大臣が考えることではない。国民は生活の向上、国際社会における日本経済のポジショニングということを求めているのに、それを無視して自分がやりたいことを推進しようとした。政治におけるCEOが国民であることを忘れた暴走である。そして自分が暴走していることすら自覚せず、なぜ下々の者が分かってくれないのかと自分が上司でありCEOを従業員であるかのような振る舞いをした。

テロとの戦いのために職を賭し、職を辞する。そんな国民にとってはどうでもいいことのために、一人相撲を取っていたのが安部さんだ。

テロとの戦いは、国民の信任を得てからの、必要悪としての予算使途である。こんなことを争点にせざるを得ないように自分を追い込んでいった。小泉さんが実に巧みに世論をつかんでいたのとまさに対照的だ。

要するに、自分の上司は誰なのかという自覚、それが身につくのは相当年齢を経てからなのかもしれない。国民を支配する将軍になったように思っていたのではないか。そもそも民主主義ということの意味を本当に理解していたのかどうか、根本的な出発点を間違えていたような気がする

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携帯購入時の店員

非常に気になったことがある。

携帯電話というのは他の電気製品と違って、お客様に渡す商品を取り出して店員が自分の手であれこれ設定したりする。雑誌を買うときも誰も触っていないのを下から抜き出すような性格の私はそれが我慢できない。汚い手でべとべと雑に触るのも許せないが、今回、最悪な店員に当たってしまった。

「電話番号の設定はこれです」と、商品引渡し時に私が買った携帯電話を箱から取り出し袋から取り出し、素手でボタンを操作する。その操作がなんと、爪を立ててボタンを押しているのだ。もう最悪。簡単には傷はつかないとは思うが、爪を立てて商品を触るという神経は考えられない。そのときは唖然として見送ってしまったが、帰ってから怒りがふつふつと沸いて来た。今度同じ目にあったら絶対にブチ切れてやる。客の逆鱗でトラウマにしてやる、と思った。

お客様の商品を素手で触ることが販売プロセスに組み込まれていると言うのは日本人的には欠陥商品といわざるを得ない。これを解決したら、売り上げは少し上がる確信がある

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913SH続編

913SHを一通り使って設定したが、まあわかりにくいこと。

最初に「ID通知をしない」を選択すると、WEBアクセスのときに「通知設定してください」となって先に進めない。しかし、どうやって通知設定をするのか見当もつかない。取説を1時間読んだがわからない。パソコンで調べたりしてやっと見つけたのが、my yahooの画面の下にある小さい文字の設定の中でIDの登録とかそんなメニューがあり、そこで設定できる。

ワンセグ放送のエリア設定も最初に横浜で設定した後に、それをどうやったら東京に変更できるのかがわからない。それは取説に載っていて何とかできた。とにかく、やりたいと思うことが見つけにくい。そうやって試行錯誤でwebアクセスさせてパケット料を取るのが目的かと思ってしまうほど不親切だ。

こんな機械、誰が使えるのかと思う。日本の携帯電話が世界で全く売れないのは通信方式だけでなく、こういう設計思想に問題があるのではないかと思えてくる。

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913SH

携帯電話を買った。913SHという、ソフトバンクのワンセグも見られる最新機種だ。ハイテクには通じているつもりだが、携帯には、また異なる世界がある。電話帳のような取説を読む気も起きない。

使い方がよく分からない・・・

わかろうという気力もない・・・

とりあえず、自分の電話番号が何番かくらいはわからねば始まらない。こんのに小さいのに、かつて見たことがないほど、憂鬱になる機械である。何かが間違っている。料金ブランや付帯サービス(数ヶ月以内に解約しないとすべて自動継続になってしまい、意味のない料金をむしりとられるしくみ)の理解不能さを含めて、携帯電話の商売は顧客本位から程遠いところに行っている。ソフトバンクだけの話なのかどうかはよくわからないが、ユーザーアンフレンドリーという点でマイクロソフトを手本にしているような気がする。間違った手本なのだが・・・

使用感については後日報告します

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起業は大変

たぶん、立ち上げ時期だからだと思うが、本当に大変だ。脱サラ起業を考えている人に聞かれたら、「全く勧められない」と答えるだろう。胃が痛くなるくらいに精神的にきつい。何と言うか、気持ちが挫かれるのだ。

思えば、準備期間の一年は楽しかった。対外折衝は余りしないで、コンセプトを練ったり、システム開発をしていた。しかし、人材を採用したり、物件を探したり、商材を調達するためには、人を動かさなければならない。これが、本当に動かない。大企業に所属していたときはその虎の威で動いていたともいえるし、優秀な人材だから動くとも言える。しかし、新参者がいくら説得しても何でも後回しにされる。何もかも進んでいなくて呆然とする毎日である。

結局、進んでいるのは自分でやっているシステム開発と特許申請である。起業して何かを実現するためには、どれだけ自分でできるかが恐らくキーになる。店舗物件を探すのも結局私がやっている。人任せにしたのが4ヶ月も遅れた原因だ。何でも自分でやらなければならない。どれだけの人が、その圧力に耐えられるか、そしてそれをやりきる能力があるか。

疲れ果てて、神経が高ぶり、食事もおいしくない。酒を飲むしかない。そんなとき、MadhiriのDVDを見ると本当に癒される。体のしこりが溶けて行くようだ。確信した。やはりマドゥーリは神だ。どれほどマドゥリに救われたかわからない。

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仕事の後の一杯

石田えりが皿洗いの後のビールがうまかった、幸せだったと言っていた。既に女優として成功した後に海外に住み、自給500円の皿洗いを毎日していたらしいのだが、その生活が本当に幸せだったそうだ。真実をついていると思う。

誰でも、使いきれないお金を得て、遊んで暮らしたいと思ったことはある。しかし実は、そんなもの楽しくもなんともない。実は私は最近、店舗物件が出てくるまで待つしかやることがない状態に陥った。仕事をしなくていいのだから旅行したり映画を見たり、好きなことができてさぞ楽しいだろうと思っていたが実際にはいらいらするだけで何もやる気が起きない。旅行する気にもならないし、テレビも面白くない。もう耐えられないと思った。仕事に忙殺されていた合間にすごく面白く感じたテレビがなぜか面白くない。昼間からビールを飲んでもさっぱり楽しくない。

中学や高校の頃に、期末試験のために一夜漬けで勉強したときのことを思い出した。試験中は、わずかな休憩時間に聞いた深夜ラジオがとても楽しかったが、試験が終わると深夜ラジオなど楽しくない。やることがなくなって孤島に取り残されたような気持ちになる。

実は、旅行もビールも、仕事があるから意味を持つ。仕事がなければ何の意味もない。実に皮肉なことにストレスがあるから楽しみがある。ストレスがなければ楽しみはない。石田エリのようにセレブとして何不自由ない暮らしを送っても何にも楽しくない。労働の後のビールの方がずっとうまい、幸せなのだ。同様に、キャンプで苦労して晩飯を食うのもうまいし、ゴルフの後のビールもうまい。それは厳密には労働ではないが、神は労働者にだけ幸せを与えてくれていると言える。

なぜ命をかけて登山をするのか、なぜマイケル・ジョーダンが賭博を辞められないのか、その理由はストレスのない人生など楽しくないからだ。極論すればうまいビールを飲むために何か仕事をしなければならないのだ。金のために仕事をするのがどれだけナンセンスなことかわかると思う。金持ちになり遊んで暮らす方よりも仕事に明け暮れるほうが幸せなのだから。「仕事は金のためではない」というと偽善者のように聞こえるが、そうではない。それは、普通に私欲がある者の言葉である。より正確に言うならば「仕事は金のためではない。一杯のビールをうまく飲むためだ」である。

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星飛馬

14チャンネルで新巨人の星が放映されている。
なんとなく見ていたのだが、なんか変だ。

この漫画は実は、「とても頭が悪い子」を周りが優しく見守るという話なのではないか・・・。

ヒーローであったはずの飛馬が、自意識過剰の知恵遅れにしか見えない。なんなんだこいつは。親父も親父、今なら児童虐待で捕まるだろう。そもそも、一人との勝負にこだわり左腕を失うという発想は超頭が悪い。そんなことより息長く勝ちを重ねる方がずっと意味がある。あれだけ努力したのに、普通の人の王さんや長島さんが遥か上の人、どれだけ恵まれない子供なのか・・・。

ヒーローものの形を取りつつ本質は、頭も悪く、才能もない不憫な子供を児童虐待の親と優しい金持ちが見守るお話。だからこそ多くの人の共感を誘ったのだろうか、私を含めて(絶句)

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DDLJ

Dilwale Dulhania Le Jayenge というインド映画がある。通称DDLJ。ムンバイ(ボリウッド)映画の最高峰と言われ、歴代興行収入も確か一位か、悪くても三位だったと思う。トップスリーがアミタブ・バッチャンのSholay、マードゥリのHum Aapke Hain Koun、そしてDDLJというのは間違いない。

正直言って、初めて見たときにはひどい映画だと思った。シャールクはともかく、カージョルの演技とダンスはひどい(脚も太い、太すぎる)。マドゥリとは神と人間くらい演技力が違う。シナリオ、編集も雑。何より、この映画を見て何も学ぶことはなく、テーマも幼稚だ。なぜこの映画がそれほど受けるのか理解できなかった。

しかし・・・

何日か日がたち、サウンドトラックの歌を聞いていると、妙にリアルに思い出されてくる。例えば、久しぶりにランバダとかチャチャチャとか、20年位前に大ヒットした曲を聴くと、その当時の時代背景や自分の思い出が曲と共に蘇り、懐かしくなったり感傷的になったりする。DDLJの歌を聴くと、まるで自分の体験だったかのように映画のシーンや主人公の思いが心の中に再現されるのだ。歌と共に思い出が刷り込まれている。それでもう一度、歌のシーンやその前後を見る。すると、幸せだった頃の思い出が蘇るようにシーンに気持ちが同化する。彼女とヨーロッパを周ったときの楽しかったこと、分かれるときのさびしかった事、そういうことが自分の体験として思い出される。

わかった。インド映画は体験なのだ。映画を客観的な対象としてメッセージを読み取る欧米の映画と同じ見方をするものではないのだ。インド映画は、自分の体験として体験するものだ。映画を通じてインド人は人生を生きる。どんな人生を生きたいか、カージョルと恋に落ちて伝統と戦いながら最後には幸せを勝ち取る、そんな人生を送りたいだろう。DDLJはその要望にぴったり応えたというわけだ。Hum Aapke Hain Kounもそうだ。映画が自分の人生の代わりになっているのがインド映画の本質だ。

思い出に歌はつきもの。だからインド映画に歌は欠かせない。DDLJやHAHKのサントラを聴いていると、映画のシーンが自分の思い出のように思い出されるのが不思議だ。こういう作風はハリウッドにもある。タイタニック、そして風と共に去りぬ。当時、タイタニックは映画評論家には酷評されたが、ファンにとっては最高の映画だ。その構図はインド映画と全く同じである。

映画とは何なのか考えてしまう。少なくとも、文芸作品や娯楽作品の評価手法がインド映画には適用できないことは確かだ

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Madhuri Dixit

マードゥリ・ディキシット(マドゥーリと書く人もいる)。インドの大女優である。日本で同じような存在と言えば美空ひばりだろうか。ただし、マドゥリは歌はほとんど歌わない。

渋谷陽一という音楽評論家が「レッド・ツェッペリンについては私は批評できない。冷静さを保つことができず単なるファンになってしまう」と言っていたが、人間というのは自分の感性のダイナミックレンジの外にあるものに対しては批評力を失ってしまう。自分が考える最高よりもっと上なのだから評価できない。神の領域である。

Madhuriはその領域にいる、私が知っている唯一の女優だ。女優としてだけでなく、踊りについてもそうだし、単にインタビューに答えてしゃべっているだけでもだ。Madhuriがしゃべる声、Madhuriの表情を見ているだけで心がとろける様に癒される。顔が自然にほころんでしまう。

恐らく、インド人のほとんど、そしてMadhuriを見た人のほとんどがそう思っている。今まで、Madhuriが評価されるのを聞いたことがない。常に、賛美され崇拝される対象になっている。

10億の人口のインドで100年に一人出るか出ないかの美人であり、その美人がとてつもない練習を重ね、惜しげもなくへそを出して踊り微笑む。まさに、地上に遣わされた女神と言えよう。Madhuriは聖母マリアの生まれ変わりではなかろうか。

MadhuriのファンはMadhuriが神だと思っているから自分の仮想恋愛の対象とは全く思っていない。だから、Madhuriが結婚をし、子供を生んで幸せな生活を送っていることを心から嬉しく思う。Madhuriの誕生日はもちろん神聖な日である。私が会社の登記申請をした日もMadhuriの誕生日である。Madhuriの誕生日に会社の創立も祝う。ささやかな楽しみだ。

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起業の金銭感覚

会社を辞めて、事業を始めよう!

と、思い切ったのだが、やはりなかなか大変だ。クリエイティブなことをしている時間は楽しいが、出費は精神的によろしくない。

店舗の賃料が84万円である。保証金も1000万円程度かかる。今まで自分が住む家賃として最大でも8万円以下であることを考えると10倍になる。幾ら商品に自信があっても身についた金銭感覚というのがあるので、毎月84万円出て行くというのは足がすくむ思いだ。

賃料に限らず、購入するパソコンも14台もある。スタッフの研修費用も一人当たり10万円以上かかる。商標や特許の登録も10万円オーダーだ。どんどん金が飛んでいく。

どうやら、金銭感覚を10倍にしなければならないようだ。金を使うとき、利益を得るとき、すべて10倍を当たり前にしなければならない。利益が10%と考えれば妥当な数字だ。そうなると、私生活の金銭感覚も狂ってくる。2千円で飯を食っていたのが2万円でも平気になるだろう。オーナー社長の金銭感覚がなぜ一桁違うのか、なんとなくわかってきた。

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最低賃金の引き上げ

最低賃金の引き上げについて、日経の記事を見た。

最低賃金アップで格差是正できるの?

どの論客も搾取しているかどうかという論点で語っていて本質をついていない。この程度の認識なのかとがっかりした。

最低賃金引上げというのは実に耳に心地よい。平等な社会というイメージがある。皆が等しく幸せになれるような気がする。だが待てよ。この感覚はかつて聞いたことがあるものに似ている。そう、楽園北朝鮮、である。

市場経済で動いているのが資本主義国家だ。すべてを商品として扱う。すべての商品は価格競争を行う。それによって、必要な商品が生産される方向に誘導する。これが市場経済だ。例えば、キャベツが豊作過ぎて価格が下落したときに最低販売価格を決めるかといえば決めない。決めてしまえば農家は嬉しいが、その結果、農家は努力を放棄し、皆がキャベツを生産することになる。例えばトマトが不足していても誰もトマトを生産しない。キャベツを作っていれば高く売れるのだ。なぜトマトを生産する必要がある。

しかし、皆がキャベツを作れば売れないキャベツも出る。結果として、農家は不幸になる。そして、トマトを買えない消費者も不幸になる。価格統制をするとこういう結果になる。そしていずれ北朝鮮のようになる。

労働も商品だ。必要とされる労働は賃金が高い。安い賃金の労働に固執するのではなく、高い賃金の労働にシフトすべきなのだ。最低賃金引き上げは、そういう正しい市場経済の動きを止めることに他ならない。こんな番組が放送されるそうだ。

BS1 9月22日(土)「ホームレスが稼ぐ100万ドル」 ~アメリカで広がるキッチンビジネス~
ワシントンのパーティを飾るのは元ホームレスが作った料理。“DCセントラルキッチン”は、ナイトクラブの元経営者ロバート・エガー(49歳)が始めたホームレスの支援をめざす社会派ベンチャーである。ホームレスの人々に3か月の研修で料理の技術を教え、その卒業生が作ったケータリングの年間売り上げは100万ドル(約1億2000万円)になった。アメリカで注目されるホームレスの社会復帰をめざす“キッチンビジネス”を追う。

これが正しい努力だ。賃金が下がるのは作りすぎたキャベツと同じように、供給過剰が原因だ。需要があるところに労働をシフトすれば解決する。そうすれば賃金は自然に底上げされる。制度で引き上げてはならない

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