芸術作品と工芸品の違いは何か?
なぜ、漫画やイラストは芸術ではなく、ミーシャや浮世絵は芸術なのか?
今まで、何となくわかっていなかったことだが、最近になって、芸術とは何かと言うことをはっきり定義できるようになった。
客を見ていないのが芸術である。
つまり、芸術家はそれが買い手に喜ばれるかとか、たくさん売れるかとか、そういう大衆性を一切考えない。誰にも理解されなくても全く気にしない。とにかく、自分にとって最高に素晴らしいものを作ろうとする。社会に対して価値を創造して残そうというプロフェッショナル的な気持ちはなくはないだろうが、たぶんそれを超越して、何かにとりつかれたような強迫的な気持ちで価値を生み出そうとする。誰かのためにとか、自分のためにということすら忘れているかもしれない。最高の価値の判断基準は自分の価値観しかないから、自分にとって最高のものを作ることになる。しかしそれは、自分のためというわけではない。
顧客にとって最高のものを作る人もプロフェッショナルであり、そこにももちろん価値創造はある。しかし、それは芸術ではない。工芸品とかマスプロダクトと言われるものになる。そして、結果として多くは消費される(時代と共に消えていく)。
20世紀の製品は、マスプロダクトとして作られてきたと思う。そして、そのやり方は成功を収めてきた。しかし、21世紀になって何か違う流れを感じる。製品が芸術化しているように思えるのだ。商品は芸術化しなければ利益を確保できないようになってきたような気がする。
マーケティングにより徹底的に顧客にこびた商品というのは、何か空虚で魅力がなくなってしまう。マイクロソフトのWindowsは確かに顧客の要望に応えている、悪いところはないが魅力がない。コアに人の存在を感じない。一方、アップルが作る製品には強烈な魅力がある。機能がどうこうということではなく、コアに芸術というか、人の思い入れというか、ライフスタイルというか、そういう、芸術が持つ普遍的なエネルギーがある。
もちろん商品なので、独りよがりになってはいけないだろう。ゴッホの絵のように同時代に誰も理解できなければ企業としては成立しない。だからプロデューサーという存在が必要になる。
クラシックで言えば、指揮者がプロデューサーである。ロックのような大衆音楽はもっとはっきりしていて、ミュージシャンの良さをどう聴衆がわかるように仕上げるかというのがプロデューサーの仕事である。最近のいい商品もこういう構造で作られているように思える。
つまり、天才的な個人がコンセプトや商品のアイデアを創造する。マーケティング担当者は、それを大衆化する。大衆化は天才の承認の下に行われるので本質的な部分は失われない。そういうプロセスを経て生み出された商品が高い値段で売れ、大ヒットしている。
技術者が独りよがりに作る商品は失敗するし、マーケティングの結果から作られた商品は空虚になる。21世紀の商品は、アーティストの作品をプロデューサーが仕上げるという手法で作られるようになる。マスプロダクトも芸術化しなければならないのである
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