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2007年10月

マンションがオフィス

大企業を出て、自分で商売に関係する人に会っていると、気付く。オフィスがオフィスっぽくない場合が多い。松下とかマッキンゼーとかIBMとかトヨタとかそんな企業しか出入りしていないと、オフィスというのはこういうものだという先入観ができる。しかし、そういうオフィスは賃料が高い。机を並べてパソコンを打ち、電話を受けるのがメインならガラス面の大きな間口は必要ない。受付も必要ない。会議室も無駄だ。高価なオフィスビルに入る必要もない。広めの賃貸マンションに入ればいいことである。小さなオフィス物件よりもマンションの方がオートロックが付いている分安心ということもある。

そういう当たり前のことが先入観に覆い隠されると見えない。コスト削減や価値創造というのは、先入観を取り払い、物事を正しく計算できることだと思う。そう言うのは簡単だが、セロのマジックを見破れないようでは先入観を取り除くことなどできない。自分の頭を使ってではなく、より多くの世界を見ることによってしか先入観のベールを取り払うことはできないのだ。オフィスはマンションで十分だという事実を知ることは、そういうことで学ぶことができるという一例である

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芸術化する商品

芸術作品と工芸品の違いは何か?
なぜ、漫画やイラストは芸術ではなく、ミーシャや浮世絵は芸術なのか?

今まで、何となくわかっていなかったことだが、最近になって、芸術とは何かと言うことをはっきり定義できるようになった。

客を見ていないのが芸術である。

つまり、芸術家はそれが買い手に喜ばれるかとか、たくさん売れるかとか、そういう大衆性を一切考えない。誰にも理解されなくても全く気にしない。とにかく、自分にとって最高に素晴らしいものを作ろうとする。社会に対して価値を創造して残そうというプロフェッショナル的な気持ちはなくはないだろうが、たぶんそれを超越して、何かにとりつかれたような強迫的な気持ちで価値を生み出そうとする。誰かのためにとか、自分のためにということすら忘れているかもしれない。最高の価値の判断基準は自分の価値観しかないから、自分にとって最高のものを作ることになる。しかしそれは、自分のためというわけではない。

顧客にとって最高のものを作る人もプロフェッショナルであり、そこにももちろん価値創造はある。しかし、それは芸術ではない。工芸品とかマスプロダクトと言われるものになる。そして、結果として多くは消費される(時代と共に消えていく)。

20世紀の製品は、マスプロダクトとして作られてきたと思う。そして、そのやり方は成功を収めてきた。しかし、21世紀になって何か違う流れを感じる。製品が芸術化しているように思えるのだ。商品は芸術化しなければ利益を確保できないようになってきたような気がする。

マーケティングにより徹底的に顧客にこびた商品というのは、何か空虚で魅力がなくなってしまう。マイクロソフトのWindowsは確かに顧客の要望に応えている、悪いところはないが魅力がない。コアに人の存在を感じない。一方、アップルが作る製品には強烈な魅力がある。機能がどうこうということではなく、コアに芸術というか、人の思い入れというか、ライフスタイルというか、そういう、芸術が持つ普遍的なエネルギーがある。

もちろん商品なので、独りよがりになってはいけないだろう。ゴッホの絵のように同時代に誰も理解できなければ企業としては成立しない。だからプロデューサーという存在が必要になる。

クラシックで言えば、指揮者がプロデューサーである。ロックのような大衆音楽はもっとはっきりしていて、ミュージシャンの良さをどう聴衆がわかるように仕上げるかというのがプロデューサーの仕事である。最近のいい商品もこういう構造で作られているように思える。

つまり、天才的な個人がコンセプトや商品のアイデアを創造する。マーケティング担当者は、それを大衆化する。大衆化は天才の承認の下に行われるので本質的な部分は失われない。そういうプロセスを経て生み出された商品が高い値段で売れ、大ヒットしている。

技術者が独りよがりに作る商品は失敗するし、マーケティングの結果から作られた商品は空虚になる。21世紀の商品は、アーティストの作品をプロデューサーが仕上げるという手法で作られるようになる。マスプロダクトも芸術化しなければならないのである

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プロフェッショナルとは

NHKの番組でゲストに問う質問だ。

色々な人が、色々な答えをする。私も考えてみた。

プロフェッショナルとは「仕事の結果に自分が含まれていない人」だと思う。その理由は対価を得ているからでもあるが、仕事の結果としての作品を残したいという気持ちにあると思う。作品には自分は必要ない、純粋に作品自体の価値を最大化することにしか興味はない。

アマチュアは、自分の楽しみのために仕事をする。だから結果として自分が楽しいということが含まれていなければならない。作品に私欲が入ってしまっている。

別のアマチュアは、自分の名誉のために仕事をする。だから結果としての作品は自分の地位を高めるものでなければならない。そこに邪心が入ってしまっている。

このように、仕事の結果に自分が入ってしまうと、作品の価値が損なわれる。プロは、世界に価値を生み出し、価値を残すことに心血を注ぐ。価値を最高にすることだけが目的であり、自分が入り込むことはない。これが、プロの仕事だと思う

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柳原可奈子2

最近ちょっと膨張しすぎではないか・・・

私が君を好きな理由も、世間で君が売れている理由も決してデブキャラではないぞ

キャラを口実に食べたい気持ちは分かるが、へんな方向に行かないでほしい。ちっちゃくて可愛い方が絶対いい。間違いない。デブキャラはマイナスだ

本人がこの文章を見るとは思えないが、ファンの一人としてちょっと前の姿に戻ってほしいと思う

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赤福

赤福事件で腑に落ちないのは、被害者がどこにもいないことである。

確かに、数々の不正は信じがたいほどに悪質だ。しかし、食中毒になった人がいるわけでもなく、まずいという評判が出たわけでもない。買った人は、皆おいしいと満足していたわけだ。

となると、どこが悪いのか、という話になる。法律は人が作ったものだ。法を守って人を不幸にするのと、法は犯すが人を幸せにする、どちらが正しいのか。そもそも、法は人を幸せにするためにある。ならば、法を超越して赤福は許されてもいいのではないか。

そう言ってしまうと、何でもやり放題になってしまうので、法の遵守を軽視することは推奨できないだろう。しかし、法自体が厳しすぎる、現在の技術レベルに合っていなかったということはもっと考えていいことだと思う。不要に厳しい法律は国民を不幸にする。技術の進歩に合わせて法は改正されるべきだし、技術の進歩によりきめ細かい運用も可能になっている。赤福を責めるばかりでなく、なぜ赤福が法を無視したのかという部分をよく考えることも大事なのではないかと思う。赤福を擁護したいわけではないが、被害者が一人もいないのに法律が絶対的な神であるかのように法に基づいて人を裁く、法律に疑念を抱かず人に疑念を抱く、ある時代の人間が主観的に作ったに過ぎない法が普遍的な正義と信じ盲目的に従う、そういう考え方が気持ち悪い。そういう思考停止なスタンスが人類史上において数々の過ちを犯してきたのではなかったのか

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食料自給率と農村

食料自給率というのは軍備以上に重要だ。兵糧攻め、今で言う経済制裁を受ければ軍備が如何に強力でも国は滅びる。

ではなぜ、農村を突き放し関税撤廃に突き進むのか。なぜ、自給率を下げる政策を取るのか。

その答えはスクラップ&ビルドである。恒常的に自給率を上げるには、自由競争の元で自給率が上がるような市場原理に基づいた生産力が必要だ。保護による自給率など本当の自給率ではない。だから今の農村は保護しない。大会社による生産性の高いシステムに移行するために今の農村を潰さなければならないのだ。

他の産業と異なり、土地面積が限られているから、まずは今の農村を潰さなければ新しい産業は育たない。だから数年、数十年をかけて、一時的に自給率を下げてでも今の農村を壊滅させて更地を作る、それがこの政策の真実である。

自民党はそんなことをしているわけだが、それは他人事ではなかった。自らの腐った体質が次々に明るみに出ている。スクラップ&ビルドされるべき第一の対象は自民党であることがわかってきた。農村に手をつける前に、今の与党がスクラップ&ビルドされなければならない、それが規範を示すということという皮肉な状況が昨今のニュースでわかってきた

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MDとオートバイ

私は一度もMDを使ったことがない。買ったことはないし、音を聞いた記憶もない。かなりヘビーな音楽好きだが、LPレコード&カセット、CD、CD-Rという流れの中で、MD全盛時代にコピーをする機会がなかったためだ。CD-Rも少しの間しか使わず、今はipodだ。

私はオートバイに乗ったことがない。厳密には、一度リゾートアイランドで原付を借りてちょっとだけ乗ったことはあるが、転んだので止めた。
シートベルトが義務化されているのに無防備な体で道路を走るというのはおかしな話だ。オートバイというのは前時代的な野蛮な乗り物(だから人気があるのだが・・)だと思う。100年もしたら、こういう乗り物が許可されていた時代があったことが驚かれるだろう。それほど、危険な乗り物だと思う。今までにオートバイの必要を感じたことはないし、今後も乗ることはないだろう。

こんな風に、私には縁のない商品でも大きな市場があり、大きな商売がある。しかし、儲かりそうだからといって、こういう市場を手がけるのは間違いだと思う。やはり自分が必要なもの、好きなものでないと、やる気が起きないし、何がいい商品なのかの定義すらできない。美容・アンチエイジング市場もすごいようだが、私にはできない分野である

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信用力と保証人

遥か昔、子供の頃にNHKの大河ドラマ「黄金の日々」を見ていた。今でも覚えているのは、いい商品をなぜ扱ってくれないのかを問いただす主人公に対し「商売には品質よりも大事なことがある。それは信用だ。お前にはそれがない」と突き放したシーンである。子供の頃は、「そんなものかな、私は品質の方が大事だと思う」などと考えたが、実際に事業を始めると、その言葉の重みを全身で感じることになる。

資金調達は、貯金があれば銀行に借りる必要はないので信用はいらない。しかし、店舗や事務所を借りるときにそれが大きく立ちはだかってくる。

株式会社を設立し、法人だから信用があるだろうというのは甘い。いくら資本金が2000万円くらいあったとしても、一期も終わっていなければ、信用されない。よって物件を貸してもらえない。貸してもらえなければ商売が始まらないので何期過ぎようが信用力は上がらない。そういうジレンマに陥る。

いくつか物件にトライしていれば、ベンチャーに理解のある貸主もいて、話を聞いてもらえる。内容が良く、熱意が伝われば、審査の土俵に上がることはできる。それでも、内外装をどうするのか、収益計画に無理はないか、かなり詳細にチェックされるので、ハードルが簡単に下がるわけではない。

最近は、多額の保証金を取らないことが多い。資金をそうして死なせるのは無駄なことだからだ。その代わり、保証会社を使う。保証会社を使えば貸主は保証金よりも安心だし、保証会社は儲かるし、借主は資金を投資に回すことができる。三者ハッピーな優れた仕組みである。しかし、このシステムはそれほど規制が厳しくないので会社が倒産しようが何だろうが取り立ては厳しいらしい。そしてこのシステムを使う場合にも、信用力を示せない会社は保証人を求められる。法人は有限責任だが、個人は無限責任である。だから、社長が個人として保証人になればいいはずなのだが、それはだめだという保証会社もある。しかし、やはり保証人を人に頼むのはいやなものである。頼まれるよりも頼む方が遥かにいやだ。

どうしてもいやだったので、貸主と保証会社に保証金の額を引き上げてもいいから、保証人を自分にできないか掛け合ったところ、幸い、それでよくなりそうだ。もし、保証人を頼まないで済んだら、とても有難いことである。

そんな感じで、信用力が付くまでは、何かとこういうことがストレスになる。新参者が挑戦するときには、こういうハードルがある。力があれば成功するというほど社会は優しくはないのである。人頼りだし、頭を下げなければならない。売り上げや利益の戦いの前に、こういう戦いがある。大変である。

事業に失敗はない。あるのは学びだ。成功するまでやれば必ず成功する。

とジェームス・スキナーは言う(podcast「ジェームス・スキナー成功の9ステップ」この無料コンテンツは結構お気に入りだ)。しかし、もし、会社を倒産させて、自分も自己破産したら、再挑戦などできないのではないだろうか。お金を失う以上に信用を失うことは恐ろしいことである。失敗には、やっていい失敗と、致命的な失敗とがあるように思う。破産や倒産は絶対にしてはいけないと思う。登山に例えれば、仲間を死なせるような失敗は絶対にしてはならないということである。そのため、コンセプトとか差別化より何より、金の出入りを慎重に設計する必要がある

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綱引きと縄跳び

皆で頑張って勝負する。綱引きと集団の縄跳び、どちらもそうだが、教育的効果は大きく異なる。縄跳びは、誰かが失敗して終わる。その子は大変なショックを受けるだろう。しかし、それはその子のその後の人生に大きないい影響を与えるに違いない。
綱引きの場合、誰が悪かったわけでもない。合計で決まる。各自が一様にがっかりする。自分の力を反省する。人のせいにすることはなく、連帯責任の意味をかみ締める経験ができる。

どちらがどうということではなく、どちらも人生の一側面を示す。どちらも経験することが大切だ。勝負をうやむやにして皆が勝者とか訳の分からない結果にするのではなく、負けという現実をしっかり受け止めさせることが大事だ。そういう経験を積み重ねて、敗者への思いやりや、勝利が多数に支えられていること、一人の責任の重さ、色々なことを体験として学ぶ。

教育とは、負けることの経験だと思う。そういう意味で、近年のゆとり教育は致命的な失敗を犯し、生きる能力を失った人間を多数生み出してしまったと思う

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久保田智子と久保田祐佳

午後の仕事に疲れたときにテレビをつけると、「2時ッチャオ」を見ることになる。すると、必然的にTBSの女子アナである久保田智子(さん)を見ることになる。美しい。この人は本当に美しい。造形がどうこうと言うより、存在が美しい。そして微笑んだときの唇の形が美しい。こういう(フラットな)人はタイプではないはずなのだが、めちゃくちゃタイプである。見ているだけで癒される。午後の休憩になる。

そして、女子アナ界のもう一人の久保田。解体新ショーの久保田祐佳(ちゃん)。国分氏の身長の低さとのバランスで抜擢されたのか(?)、小さくてかわいらしいNHKアナウンサーである。この子の良さは、一般には笑顔だといわれているが私の意見は違う。毎回、体の権威の医者が登場するのだが、ゲストの存在を無視し、タレントの存在を忘れ、その医者に向かって異様に理系で妥当で鋭い質問を浴びせる(普通のアナウンサーはゲストに発言させ自分はへらへらしているだけである)。的確すぎて、バラエティを超えて、自分の興味で聞いているとしか思えないまじめな質問、これがこの番組の真の見所である。その突込みに対し、半数はごまかし、半数は予想通りの平凡な返答をする、いや、しかできない。その答えには祐佳ちゃんも私も満足しない。もっと、驚くような意外な答えを聞きたいのに。そういう、純粋な子供の質問に答えられない親のような空気がいい。だから久保田祐佳は素敵だ。

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企業、政治、そして亀田

ボクシングの亀田家が反則行為により処分された。それだけを見ると、それだけのことなのだが、何だか時代を象徴しているようにも思える。

数年前から、特に新興成り上がり経営者が不正により訴追されるケースが増えた。堀江、村上、折口、NOVAなどなど。新興だけでなく、雪印に始まり、ミートホープや赤福に至るまであらゆる企業が告発されるようになった。その流れは企業だけでなく政治家にも波及し、安部政権は完全に粉砕された。

そもそも、不正をやっていたのは不正も合法だという意識があるからだ。もちろん合法ではないが、見つかれば刑に服するし、見つからなければその必要はない。その覚悟でそれを選択する自由がある。それをリスクと捕らえ、ぎりぎりのところで勝負する。皆がそうしているのだから、そうしないと生き残れない。そういう精神でやっていたと思う。法を犯すことのリスク計算をし、利益の最大化を図るという方法論だ。

ところが、これが突然通用しなくなった。それに気付かずコンプライアンスを軽視していた企業や政治家がことごとく訴追されたのだ。ではなぜ、突然不正行為が見過ごされなくなったのか。

グローバル化である。それはグローバルな監視基準が日本に波及したというよりも、グローバル化という環境で競争力を維持するために不正行為で生産性を落とす余裕がなくなったということだ。経済というのは全体で見れば、公正に競争することを前提に設計されており、不正を起こすものがいれば総和としては生産性が落ちる。日本の総和として生産性が落ちれば世界で戦えない。その危機感が、今まで許してきた不正も許せなくなっているのだ。

そして、もう一つの視点は、人類の知恵が新たなステージに到達したということだ。すべての生産活動は人間が幸せになるために行う。そしてその方法は太古の昔から一歩一歩進歩してきた。不正をしてでも勝つ、そういう競争原理は過去のものになり、クリーンに勝負することが人類の幸せに繋がるという時代に入った。そういうことだ。そう考えたい。不正行為は罰則を受ければ帳消しになる時代は終わり、存在自体をを否定される厳しい時代になった。法律で律するのではなく、社会の目で律する時代になったのだ。利益至上主義ではなく、モラル至上主義になったのだ。

マリオン・ジョーンズのドーピングも、亀田の反則も、単なる減点ではなく、選手としての存在を否定するまでに厳しい罰則が下されるようになった。反則は減点3だがそれをノックアウトに繋げれば勝てる、だから反則をした方が得だ、という考えは全く通用しないということをすべての経営者が肝に銘ずる必要がある

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法人税の申告書2

今日一日かけて調べた。なんと、いつの間にか納税もインターネットでできるようになっていた。e-taxである。電子証明書も市役所で500円で手に入る個人のものでOKのようだ。定款認証、登記登録、商標登録、特許申請も2007年4月から市役所の電子証明書が使えるようになったので、ほとんどお金をかけずに個人でできるようになった。税金もそうなっていたわけだ。

申告書作成ソフトも無料でダウンロードできる。どうやら、これも自分でできそうである。行政が導入する電子申請システムは業者の食い物にされていて、巨額の金を支払っている割には非常に出来が悪い。しかし、今年に入ってからシステムもかなりこなれて来て、個人でも何とか使えるレベルになった。そして、支援ソフトも無料でダウンロードできるようになり、料金的にもメリットは大きい。使う人は増えるはずだ。

そうなると、困るのは事務を職業にしている人たちだ。行政書士、弁理士、公認会計士、税理士・・・。これらの資格は取得が簡単ではないが、これからは仕事が干上がってくるのではないだろうか。特許を書くといった高度に知的な作業は素人には難しいが、電子申請のような事務処理は意外に簡単だ。もちろん、企業の規模が大きくなれば話は別だが、創業期は会計や税について理解するという意味でも自分でやる意味は大きい。自分でやってみることで、将来何を社内でやり、何を外注すべきかもイメージできる。何もかも専門家に丸投げしていては利益の確保もおぼつかない。

会計事務所や特許事務所は、とにかく素人には難しいことを強調し、仕事を確保しようとするが、時代は確実に変わってきている。政府が生産性向上のためのツールを無償で配布し始めた。また、間接業務は高価な事務所ではなく、中国に外注する時代でもある。パソコンによるOA化で企業の間接部門は劇的に縮小したが、インターネットとグローバル化による第二の波が押し寄せている。単純労働者需要が国内から減ったことがワーキングプアの原因だが、今度は事務労働者がその洗礼を浴びることになる。作業ではなく、クリエイティブな仕事しか国内には残らないという流れである。政府も電子化による効率向上で人員削減をするだろうし、こうして溢れ出すであろう事務労働の失業者を将来どういう形で救済するのだろうか

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法人税の申告書

株式会社を設立する事務手続きとしては大きいのは定款作成から登記登録までだが、これらはちょっと勉強すれば自分でできてしまう。そして、一年後に必ずやって来るのが法人税の申告である。私は会計や税務については素人なので、会計王のような市販ソフトを買えば、簡単に申告書がプリントできるものと考えていた。経理・会計業務といっても経費、仕入れ、売り上げ、給料を登録するだけだから仕訳について理解すれば会計ソフトでできる。しかし、会計ソフトのどこを探しても決算はあっても申告書作成がない。調べてみると、税務署に提出する申告書は税理士に頼むのが一般的だということがわかった。なんだ、それでは会計ソフトの意味がないではないか、と思ったのだが、どうやら業務として会計と税務は違うようだ。世の中には公認会計士と税理士がいて、会計事務所と税理士事務所は一応違う職業である。会計ソフトがやるのは会計士の仕事で、税理士の仕事をする安価なソフトは普及していないのが現実なのだ。申告書を作るためには会計が必要なので会計ソフトは必要なのだが、さて申告書をどうやって作ったものか。

素直に税理士に頼めばいいのだが、必要なのは申告書作成だけなのに、月額40000円くらいかかる。一年にすると50万円くらいだ。一年目は自分でやってみようかな。払いすぎる分には国に貢献するのだからいいだろうし、足りないときは税務署が指摘してくれるだろう。図書館で本を借りてきて勉強することにしよう

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なぜ消費税なのか

所得税ではなくなぜ消費税で税金を取る必要があるのか。長らく疑問だった。どちらから取ろうと結果的に同じではないのか。消費税で徴収するメリットは何なんだろうか?

まずは、高所得者にこれ以上の税を課すと人材が国外流出してしまうということがあるだろう。かといって、低所得者に重くすると猛反発を食らう。消費税の方が問答無用で取られている感じが小さいから反発も小さいだろうと考えられる。

次に、消費税を上げると消費が抑えられる効果がある。消費が減れば経済が縮小しそうだが、国内市場よりも海外市場の方が大きくなってきているのでどうということはない。消費が減れば、余った金が投資や貯金に回る。マネーサプライが増えれば経済は活性化する。死ぬまで消費されなければ贈与税で結局税金として徴収できる。そういう効果がある。

そして、これは見落としていたことだが、税の二重払い効果がある。つまり、今貯金している金は所得税をしっかり払った金だ。その金を消費するときに消費税を取られれば、二重に税金を払うことになる。つまり、消費税を上げると過去の給料からも税金を奪い取る効果がある。国民はそれを避けるために消費税増税前に駆け込みで使おうと考える。すると、経済が活性化し、法人税が潤う。二重取りを避けられても法人税で取れるから国としては駆け込みで使ってもらっても結構ですよ、ということになる。

要するに、いかに反発や経済的な落ち込みを抑えつつ、増税する額をmaxにするかということなのだ。税の徴収というのは、企業がどこから利益を取るかを考えるのと同じように巧みに設計しなければならないということなのだ。本質的に増税されることには違いはない。それを避ける方法もない。ならば国民としても、経済成長に悪影響がない形でうまく増税をしてくれることを期待するしかないのである。そして、その方法が消費税増税というのが現在の結論ということだ

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ワーキング・プアの行く末

今問題になっているワーキングプアを無くす方法は最低賃金の引き上げではなく、知識労働者への転換を促す再教育であることは前に述べた。そして、理論的にもう一つ方法があると思っていたが既にそれは現実になっているようだ。

なぜ賃金が生活できないほど低いのか。その背景に経済のグローバル化があることは言うまでもない。中国で同じ仕事を安い賃金でやってくれるのに日本だからといって高い賃金を払う理由がないのだ。

中国人は賃金が安くても生活できる。日本人はできない。なぜか。生活している場所の物価が違うからである。中国は社会インフラ、行政サービスが未発達で生活が不便な分、生活費も安い。日本は快適に生活できるが物価は高い。中国で日本並みに快適に生活しようと思えば日本と同じくらいの生活費が必要である。何が言いたいかというと、日本で生活するということ自体が贅沢なことなのだ。つまり、日本で単純労働をするというのは、安い給料で高級マンションに住めないと嘆いているようなものなのだ。グローバル化とはそういうことだ。

答えは一つである。安い賃金の中国人でもできる労働しかできないならば、生活費の安い中国に住むしかない。そして、そういう日本人が増えていることを今日のクローズアップ現代で放送していた。少し前に、知人がインドのダラムサラで暮らすことを決意して日本を離れて行った。本人はグローバル化により日本には住めなくなったという自覚は薄いようだが、これもそういうことである。若い人は海外で再挑戦する、という響きに冒険心やかっこよさを感じるのかもしれないが実態は日本という高級住宅地に住めなくてスラムに引っ越すようなものである。論理的にそういう方向もあるかと思っていたが、想像を超えるスピードで進行していることに驚いている

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ゴミ有料化

10月から藤沢市もゴミ出しが有料になった。指定のゴミ袋でしか可燃ごみ、不燃ごみを出すことができない。それを知ったときは、「レジ袋をなくす方向なのに有料のゴミ袋を使うのでは意味ないではないか」と思った。

しかし、

やはり効果があるようだ。単に処理費用を負担させるという意味以上に、ゴミ削減効果がある。何しろゴミ袋が高い。5リットルの大きさが10円である。5リットルはレジ袋くらいかと思っていたら、コンビニの小さい袋くらいの大きさしかない。大きさに比例して値段が上がるので大きいものを買ったら結構な金額になる。今まで豆乳やジュースの紙パックを可燃ごみで出していたが、これを袋に入れるとすぐにいっぱいになってしまうので、潰してスーパーの回収コーナーに持って行くことにする。あと、かさがあるのはキャベツの芯や魚のくずである。生ゴミ処理機を買おうかと真剣に考えてしまう。ティッシュペーパーもなるべく使わないほうが良さそうだ。トイレに流せるタイプを出せば売れるのではないだろうか。

高々10円のゴミ袋だが有料というのはやはり消費行動を変える力がある。税金を単純に所得税や消費税や法人税で吸い上げるのではなく、こういう副産物的な効果を生む形で課すという発想は他にもあっていいように思った

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