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2008年10月

森のたまご

スーパーに行くと色々なブランド卵があるが、森の卵は別格だ。明らかに違う、明らかにうまい。特に生で食べると甘み、うまみがあって絶品だ。

テレビで見るような箸で黄身をつかめるような高級卵は別として、手軽な値段で買える森のたまごはとてもいい。通常290円くらいなのでなかなか手が出ないのだが、たまに特売で230円くらいで売っている。そんなときは買うしかないだろう

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事業の意味

会社員をやっていた頃、中小企業の社長が贅沢をしているのを見て、器量の小ささというか、軽蔑に近い感情をいだいていたものだ。

しかし、今となってはその心情はよく理解できる。

事業を自分で始めてみると、最初はそれほど儲からないものだ。いや、赤字になる。しかし、そんな状態でも、必要な機材や消耗品を購入して支払いを行い、家賃や給料も払う。自分の給料などない。むしろ、貯金を切り崩して事業資金に当てていたりする。

何をしているのかと自問する。雇用を生み出し、商品を買っている。そして税金や社会保険料、労働保険料を支払っている。すべて社会貢献だと言える。事業とは社会貢献活動だということがわかった。

事業とボランティア、NPOの活動は実はほとんど変わりない。ボランティアというのは無償の奉仕活動で、それはそれで尊いが、従業員の生活を完全に支える事業はもっと尊い。設備投資を通じて中小企業の経営も支えている。お客様からいただいたお金はそういう形で多くの人の給料に返還されていく。そしてもちろんお客様に対しては価値提供という形で貢献している。

そう考えると、こんなに頑張って事業を立ち上げている自分に、何の報いもないのはおかしいと考えるようになる。今は無報酬で休みもなく日夜働いているが、いずれはその分をを含めて妥当な報酬を得て、楽しい暮らしをしようと考えるようになる。たぶん、そういう気持ちで中小企業の社長は高級車を買い、うまいものを食ったりしているわけだ。

今となってはよく理解できるし許せてしまう。許せないのは、数十億円、数百億円規模の報酬を得るアメリカ企業(特に金融系)のCEOである。

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いまさら、ローウェル・ジョージ

ロックンロール・ドクター、である。

ローウェル・ジョージは70年代のアメリカのロックバンド、リトル・フィートのリーダーだ。思い起こせば、ビリージョエルがストレンジャーを出した頃、アメリカンバンドに興味を持ち、オールマンブラザーズバンドやドゥービーブラザーズに熱中したものだ。その頃から、リトルフィートは好きなバンドではあったが、スライドギターはデュアン・オールマンほどインパクトが無く、イメージとは異なる妙に都会的で美しいサウンドを物足りなく思い、それほど深く聞くことは無かった。アメリカンバンドと言えば、グレイトフルデッド、スティーリーダンもはずせないが、スティーリーダンに目覚めたのがガウチョをリアルタイムで聞いた17歳の頃なのに対し、デッドの素晴らしさに気がついたのは29歳の旅行中(@マラケシュ)であった。そして、リトルフィートにはまったのはつい最近のことだ。きっかけはローウェルのソロアルバムだ。図書館にあったので借りてみた。変なジャケットでいかにも良くなさそうだが、これが発売された当時から音楽雑誌でよく取り上げられていたのを覚えている。聴いて驚嘆した。ヴォーカルがすごい。どうやって録音したのかわからないが、声の倍音を聞かせて実にいい声に仕上げている。そしてすべての曲がいい。間違いなく名作だ。驚いたので持っていたディキシーチキンを改めて聴いてみた。すごい。演奏もすごいが歌もすごい。さらにネットでライブをダウンロードして(リトルフィートはデッドと同様、ライブ音源を無料開放している)聴いてみた。すごすぎる。ローウェルのヴォーカルはまさにロックンロールの正統的な後継者、ロックンロール・ドクターと呼ばれるにふさわしい、唸るヴォーカルである。唸ると言うのは、例えばデュアン・オールマンのスライドギターのようなイメージだが、それを声でできてしまうのはエルビスかヴァン・モリソンくらいなものだ。そしてそれを上回るほどローウェルのヴォーカルはロックしている。桑田圭介を始め、多くのミュージシャンが魅せられた理由が良くわかる。ローウェルはスライドギターだと思っていたが、ヴォーカルこそが本当にすごい。

リトルフィートは最後までコマーシャルな成功とは縁がなかった。しかし、すべてのアルバムが後世に残す価値がある素晴らしいサウンドだ。あの当時の録音技術でここまで精密で美しく、そしてワイルドな音を作り上げたローウェル・ジョージはまさにロックンロール・ドクターであり、天才であった。しばらくリトルフィートにはまっていることにしよう

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たばことオートバイ

外国人力士や加勢大周の大麻問題。

薬物についてよく知るものは、大麻の作用は非常に平和的であり依存性や健康被害もたばこやアルコールに比較して低いことを知っており、大麻を覚せい剤やヘロイン、コカインと同列に扱うことに違和感を覚えるはずだ。特に酒を飲めないものにとって大麻というのはアルコールの代わりになるものなので、酒を飲める人間が大麻を禁止するのはフェアではないとも感じるだろう。

しかし法律は法律。大麻を認めることは国策として(税収や勤労意欲、産業振興)全く利益がない。そして、世界的にも大麻を公認しているのはオランダくらいなものである。公認する理由がないから麻薬という括りで禁止する。禁止されている以上、いくら他人に害をもたらす事がないといっても違法は違法、それなりの報いを受けることに異論はない。

異論があるのはタバコとオートバイである。いくら歴史的にタバコが認められてきたからと言って、タバコの存在価値は税収以外にはない。しかしタバコによる医療費負担で相殺されることを考えればそれすら怪しい。こんなものが合法ということ自体がおかしな話なのだ。税収のために値上げと言う議論にはなるが、健康のために薬物扱いにするという話にはならない。アルコールと違って、タバコを吸っている人も吸うことが楽しいわけではない。依存症になっているために吸わなければ苦しいだけのことだ。つまり暴力団の資金源になっている覚せい剤と同様、政府の資金源になっているのがタバコである。

もうひとつ、オートバイ。車はシートベルトをしないと法律違反だが、オートバイはシートベルトどころか生身の身体をむき出しにしている。しかも二人乗りも認められている。オートバイを趣味にしている人も多数いるので禁止するのも大人気ないと思うが、自己責任でと言い切れないケースも多々ある。オートバイや原付事故の加害者が車だった場合だ。ライダーが死んでしまったら、加害者は一生苦しい思いをすることになる。自動車の加害者と言っても多くの場合、いやほとんどすべての場合、悪意があるわけではなく、過失で事故を起こしてしまう。相手がシートベルト&エアバッグの車であれば死ぬことはなかったと思うと、オートバイという乗り物を認めている国に対して憎しみ感情が起こるかもしれない。

オートバイを禁止にしたらオートバイ好きの生きがいを奪う、と猛反発を食らいそうだが、それを言い出したら、大麻好きはどうかということにもなる。100年後にはこんな乗り物が認められていた時代があったことが驚きをもって思い出されることになるのではないか。

法律というのはこのように矛盾に満ちているものだ。限られた文章で完全な規律を作ることなど不可能なのでそうなっている。これでも、人類の歴史の集大成と言うか、現時点で考えられる最高に近いものはずだ。そしてその法律を守ることが社会の成立、国家の存続には必要なことだ。だから、オートバイは認められているのに大麻が認められないのはおかしいと憤り、自分の正当性を信じてその行為に及ぶのは愚かなことだ。いくら自分が正しくても違法なのだ。それが社会というものだ。社会で生きるというのはそういうことだ。

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