音楽

いまさら、ローウェル・ジョージ

ロックンロール・ドクター、である。

ローウェル・ジョージは70年代のアメリカのロックバンド、リトル・フィートのリーダーだ。思い起こせば、ビリージョエルがストレンジャーを出した頃、アメリカンバンドに興味を持ち、オールマンブラザーズバンドやドゥービーブラザーズに熱中したものだ。その頃から、リトルフィートは好きなバンドではあったが、スライドギターはデュアン・オールマンほどインパクトが無く、イメージとは異なる妙に都会的で美しいサウンドを物足りなく思い、それほど深く聞くことは無かった。アメリカンバンドと言えば、グレイトフルデッド、スティーリーダンもはずせないが、スティーリーダンに目覚めたのがガウチョをリアルタイムで聞いた17歳の頃なのに対し、デッドの素晴らしさに気がついたのは29歳の旅行中(@マラケシュ)であった。そして、リトルフィートにはまったのはつい最近のことだ。きっかけはローウェルのソロアルバムだ。図書館にあったので借りてみた。変なジャケットでいかにも良くなさそうだが、これが発売された当時から音楽雑誌でよく取り上げられていたのを覚えている。聴いて驚嘆した。ヴォーカルがすごい。どうやって録音したのかわからないが、声の倍音を聞かせて実にいい声に仕上げている。そしてすべての曲がいい。間違いなく名作だ。驚いたので持っていたディキシーチキンを改めて聴いてみた。すごい。演奏もすごいが歌もすごい。さらにネットでライブをダウンロードして(リトルフィートはデッドと同様、ライブ音源を無料開放している)聴いてみた。すごすぎる。ローウェルのヴォーカルはまさにロックンロールの正統的な後継者、ロックンロール・ドクターと呼ばれるにふさわしい、唸るヴォーカルである。唸ると言うのは、例えばデュアン・オールマンのスライドギターのようなイメージだが、それを声でできてしまうのはエルビスかヴァン・モリソンくらいなものだ。そしてそれを上回るほどローウェルのヴォーカルはロックしている。桑田圭介を始め、多くのミュージシャンが魅せられた理由が良くわかる。ローウェルはスライドギターだと思っていたが、ヴォーカルこそが本当にすごい。

リトルフィートは最後までコマーシャルな成功とは縁がなかった。しかし、すべてのアルバムが後世に残す価値がある素晴らしいサウンドだ。あの当時の録音技術でここまで精密で美しく、そしてワイルドな音を作り上げたローウェル・ジョージはまさにロックンロール・ドクターであり、天才であった。しばらくリトルフィートにはまっていることにしよう

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ラバー・ソウル

ビートルズは30年前から聞いてきたし、ジョンレノンについても理解していたつもりだった。いろいろな意味で、いや、すべての意味で至高のミュージシャンであり、否定するところがない、神の領域の仕事をなしえた、評論を超越した作品群である。すべての曲、すべてのアルバムがこれ以上はない素晴らしさで、もう、どうこう言う気力さえなくなってしまう。

サージェントペパーズが最高という人もいるし、初期の荒削りな曲こそビートルズだと言う人もいる。アビーロードこそが完全な作品だというのもよく言われることである。

私自身、ビートルズのベストは何か考えてきたが、すべてがベストだというのが結論だった。ホワイトアルバムの散漫さもまた味がある。何をやっても神なのだ。個人的にはラバーソウルが好きだった。

今日、テレビのBGMでラバーソウルの一曲が流れていた。その瞬間悟った。ああ、ビートルズはラバーソウルだったのだ、ということを。

個別に見れば、ラバーソウルに収められた曲を超えるものは、例えばストロベリーやレットイットビー、サムシング、いろいろある。しかし、ビートルズを定義したのは恐らく、ラバーソウルだ。あの、マイナーなキーで全編を覆い、作品を成立させてしまった、絵本のような別世界を体験させてくれた、今までの音楽体験では全くなかった、文学的な夢のような世界がここにある。作品個々の感動はもはや関係ない。価値観、世界観の提示がレンジを遥かに超えたレベルで行われたのだ。

もし、ラバーソウルがなかったならば、ビートルズは今日のような決定的な存在感を持っていなかったような気がする。もちろん、作品のレベルはどれも素晴らしいが、「ビートルズ」のカラー、世界観、音楽の力の表現、そういうコアなエネルギーはラバーソウルから発せられ、他の作品を輝かせているように思える。

想像してほしい。ラバーソウルがビートルズのアルバムから欠け落ちていたならが、あなたはビートルズを今考えているビートルズとして定義できるだろうか。

恐らく、できない。何か、一番大事なものが欠落した、空虚な天才ミュージシャンとしてしか定義できない。そして、その存在はいずれ忘れられる存在かもしれない(というのは言い過ぎか・・・)。

しかし、ラバーソウルの存在がすべてを一変させる。この作品は、それほど重要だ。ラバーソウルこそがビートルズなのだ。その意味で、これこそが、ビートルズの最高傑作であり、人類のマイルストーンと言えるのではないだろうか

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著作権法改正

著作権法改正で、違法に配布される音楽について、ダウンロードする側も規制対象になりそうだ。

確かに、bittorrent等を使ってCD発売日には丸ごとダウンロードできてしまう現実は何とかしなければならないだろう。売春と同じで買う人間がいるから売る人間(売っているわけではないが)がいるというのは事実である。

背景にはCDという媒体が要らなくなったということがある。itunes、ipodに入れた後のCDは邪魔なだけだ。だからCDは買いたくない。レンタルで十分だ。ダウンロードすればもっと簡単だ。

これらは違法でなければ一定のお金がかかるが、決定的な抜け穴がひとつある。図書館である。図書館は今やデータベースで連結され、ネットで、例えば藤沢市内のすべての図書館が所有するCDを検索することができる。そして予約しておけば近所の図書館に配達される。配達完了はメールでお知らせが来る。レンタルよりも確実にCDを借りることができる。しかも圧倒的な在庫があり、少し古いものなら何でもある。私は、もともとLPで持っていたものを図書館で借り直し、数百枚のコレクションをitunesに収めることができた。前から揃えたかったリンダ・ロンシュタットもほぼすべてのCDを借りることができた。

これはなぜか合法であり、無料である。しかも行政がやっている。どう考えてもおかしなことだが利用者が少ないのか今のところ問題視されていないようだ。しかし、利用者が増えればこの不条理が放置されるとは到底思えない。借りるなら今のうちである

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インド音楽

ふと思い出した。そういえばアラブとインドの音楽は素晴らしかったと。日本で人気があるのはアメリカと日本のミュージシャンであるが、それはそれが金になるからということで販売元が大々的に宣伝しているからに過ぎない。アラブ諸国や南インドに行って驚くのは、もちろんアメリカンミュージックも一定の人気はあるが、伝統的な音階の伝統的な音楽が圧倒的に人気があることだ。日本で日本の音楽が人気があるといっても、それは西洋、特にアメリカの影響を大きく受けた音楽である。日本古来の音階、古来から受け継がれた伝統はどこにもない。そういう意味でなぜか中国、韓国、日本というアジア諸国は国の音楽を失ってしまっている。なくはないが博物館的に存在しているだけで大衆的な人気からは程遠い。かたや、エジプト、モロッコ、そしてインド。アラビックやヒンディの素晴らしい音楽が溢れている。アラブやインドの金持ちというのは欧米の金持ちと違って、生まれてから金を使って楽しむことのみに意識を集中しているようなところがある。だから遊びは半端でなく、娯楽に関しては実は先進国なのだ。アラビアンナイトのあの魅惑的な世界は実際に存在するのだ。

で、アラブ&インドのコンテンツでも見てみようかと思ったのだが残念ながらどこにも売ってなさそうだ。こんなときに強力なのがbittorrent! 世界からコンテンツを無料で(違法に)ダウンロードできる。ざっと探してみて、やはり素晴らしいものをいくつも発見した。これこそが、今後のエンタメ市場を席巻しうる商品かもしれない。いずれ大きな商売になるかもしれないので趣味がてら調査を始めることにする

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ビートルズ LOVE

ビートルズのニューアルバム(?)、LOVEを聞いている。何度も聴いている。繰り返し聴くとこのアルバムを編集したシルクドソレイユの意図が見えてくる。ビートルズの新たな解釈がこのアルバムだ。音源は知っているものばかりなのだがリミックスと曲順だけでこれほど印象が変わるものなのかと驚いている。何に一番驚いたかと言うと、ジョージハリスンである。すべてを通して聴くとわかるのだがアクセントがジョージの3曲、サムシング、ヒヤカムズサン、ホワイルマイギタージェントリーウィープスにある。ジョンとポールがジョージの引き立て役、背景になっているのだ。
ビートルズの本質はもちろんレノン&マッカートニーである。ハリスンは才能溢れるミュージシャンではあるが、このベートーベン&モーツァルトに匹敵する二人の天才と比べれば、比べるのがかわいそうなほど凡人になってしまう。彼のソロアルバムを聴けばわかる。かなりいい。しかし、彼と同レベル、あるいはそれ以上の作品を挙げろと言われればそれは不可能ではない。レノン&マッカートニー=ビートルズ以上の作品はほぼ存在しない。
しかし、LOVEではジョージの3曲こそがハイライトであり、感動のピークはここにある。なぜなのか。これはジョンとポールが余りにも天才的=狂気であるがために、それと対照的な冷静かつ平常心のジョージが際立つのだ。狂気の連続の合間の一時の正気、それがジョージの存在感を引き立てる。平凡にはさまれていたらそういうことはない。そう考えるとレノン&マッカートニーが想像を絶するほどに素晴らしいからこそこういう現象が起きるということも言える。ともあれジョージのビートルズに対する貢献はレノン&マッカートニーが居たからこそであるにしろ、巨大であることは間違いがない。なぜそれができたかというと、ジョージが二人の天才に大きく刺激されつつも常に自分を大切にし自分の個性を失わなかったからだ。だからこそ二人の強烈な個性に負けることなく、逆にその対照としての存在を示すことが出来た。グループや企業で人材の多様性が求められる理由はここにある。多様であるからお互いが引き立つのだ。
ヒヤカムズサンを聴くと、サンサンサン、ヒヤイットカムズというリフレインを常軌を逸したごとく畳み掛けるところは(私は大好きだ)、ジョンレノンが入れ知恵をしたっぽく、何となく狂気が感じられる。しかし全体的には実に爽やかで、この境地はそうそう得られるものではない。ジョージハリスンはこの一曲でビートルズすべての名曲をBGM化し、ビートルズを再定義したと言えるのではないだろうか

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ポール・サイモン

このところ図書館でよくCDを借りる。高校生の頃聞きたいなあと思いながら、LPの2500円という値段の壁で聞けていなかったようなのを借りる。例えばサイモンとガーファンクル。水曜の朝、午前3時というファーストアルバムからすべて聞いた。そしてポールサイモンのソロアルバムもすべて聞いた。すべてを通して聞くことによりいろいろな発見があった。偉大なミュージシャンは必ずルーツ音楽を持っているものだが、ポールサイモンのそれは教会音楽だったようだ。ファーストを聞くとグレゴリオ聖歌のような印象を受ける曲がある。そしてボブディランの影響。この二つがポールの才能を刺激し、独特の内省的な音楽を作り出したのだろう。ポールサイモンはジョンレノンやディランほど大きな存在ではないが、レベル的には彼らと同じ天才の領域にいる数少ないミュージシャンである。ヒット曲だけを選んで聞いてしまうとよくわからないのだが、アルバムで聞くと曲のディテールに輝きが宿っていて何度聴いても聞き飽きない。彼の曲に出会い、これからも聞き続けていけることに感謝したい。

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ザ・ヴォイス

ポップスと言えば、NHKで時々、森山良子とかがニコニコしながら歌っている番組をやっている。大嫌いである。何だか気持ち悪いのだ。何であんなに幸せそうなのか、何であんなに悩みがなさそうなのか、何であんなにみんないい人なのか。

ところが、カーペンターズとなると話は違う。図書館のCDコーナーで目に入ったので懐かしくなって何となく借りたのだが、CDの音質で改めてカレン・カーペンターの声を聞くと思わず聞き入ってしまう。とてつもなく美しい。美しいだけではなく天使のような優しさを感じる。全くの自然体でありながら、圧倒的な余裕で楽曲を黄金の輝きに変えてしまう。ポップスの世界で、声を一つだけ選ぶとすれば、カレン・カーペンターしかいないだろう。この声は当に神からの授かりもの、奇跡に近い。彼女が歌うと、世界は愛で溢れていてみんな幸せ、みんな素晴らしい人、という気になってしまうから不思議だ。恐るべき、ザ・ヴォイスである。

ところで、私はこれまで生きてきて一つの真理を信じるようになった。全く根拠もなく、統計学的に調査すれば成り立たないとは思うのだが、いくつもの体験や報道からこう考えている。

「人は今生での使命を終えたときに死ぬ」

坂本竜馬も、プレスリーも、そして身近な人たちも。カレン・カーペンターもそんな感じだった。死んでみないとわからないことだが、ひょっとして死ぬということは、この世での任務からの解放というポジティブなものなのかもしれない。仕事を達成したらこの世の苦しみから逃れることを許されるという理屈だ。逆に言えば、まだ生きているということは、やるべき仕事がまだ終わっていないということなのではないか。言い直すと

「すべての人が定められた役割を果たすためにこの世に生まれてくる」

前述の命題の裏なのだが、これが私が信じている真理である。

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